〜南相馬市の現状と復興〜 視察報告①

 

震災前はここには町並みがあった。日和山からの眺め。

【名取市閖上(ゆりあげ)地区】
 閖上地区は震災前の約5600人の人口のうち、津波の犠牲になった方は約800人にもおよびました。大きな揺れの後、閖上公民館に避難した人たちに、より海から遠い、500m先の閖上中学校への誘導指示が出され、移動している途中に津波に襲われ被害者を多く出してしまいました。
 海岸から700mの小高い丘の日和山に登って、閖上地区を見渡すと、コンクリートの家の土台だけを残し、東側は海岸、北側は名取川まで一望できる広い平らな野原になっていました。以前は、この一帯がびっしりと家や商店が軒を連ねる町並みだったとは信じられない光景でした。 また、破壊された堤防や、わずかに残った防潮林の姿からも津波の破壊力を思い知りました。
 日和山には、昭和8年3月3日に起きた地震の後に津波が襲ったことを記し、護岸と平素からの用心を呼びかける石碑が建っていましたが、その
教訓が忘れ去られていたことは残念でなりません。人は本来、安心したい思いから楽観的に判断するものということを教訓にして、市の防災対策でも、自分自身でも平素からの備えを強化しておかなければと実感しました。 

 

校舎の壁にはくっきりと黒い水が流れ込んだ跡が残っている

【南相馬市真野小学校】
 今年の3月で閉校となった真野小学校は、海岸から2kmも離れたところにあるにもかかわらず、校舎の1階部分に津波が押し寄せ、校内は破壊され瓦礫で埋まったということです。教育委員会の方にお話を伺いながら中に入ると、瓦礫は片付けられていましたが、1階の壁には床から1m位まで黒い水に浸かった跡がついており、当日の様子を伝えていました。校庭もしばらくは瓦礫に埋もれ、海水が引かなかったために、セシウムが付かず、除染はしなくても周辺よりも数値が低いということでした。

 全校児童76人と、教職員11名は最初は校舎の屋上へ上がりましたが、近所の方が危ないと声をかけ、近くの高台に逃れ全員無事でした。しかし、周辺の方がたの中には、「ここまでは津波は来ない」と過信して避難が遅れ、命を落とされた方が多くいました。
 震災後は、鹿島小学校の教室を借りて授業を続けていましたが、他の地域へ避難する家庭もあり、児童は43人に減って、鹿島小学校に統合されました。市内16校あった学校も今は11校になっています。
その数字を聞くだけでも、残るのか、避難するのか、特に子どもご家庭ではに苦しい決断が迫られたことが想像されました。この地域でも、人の減少によって、求人の時給を高くしても働く人がいないという現実問題も出ているということです。

 震災で避難されている27万人のほぼ半数は福島県の方で、長期の避難生活のストレスによる「震災関連死」は1600人にも上っています。避難を強いられている方たちへの精神的、経済的な賠償や、帰りたい人たちの希望や放射能への不安にどう答えていくのか、解決の難しい課題です。