〜南相馬市の現状と復興〜 視察報告②

【小高区で酪農業を営んでいた渡部哲雄さんのお話】
 渡部さんのお宅は、福島第1原発から20Km圏内にあり、居住制限区域になっている

渡部さんのお宅の前で、ご夫妻と、府中と稲城の生活者ネットワークのみなさんと

ため、日中に帰ることはできても宿泊することはできません。

 築7年しか経っていないご自宅は、地震での破損はありませんでしたが、3月12日の原発の水素爆発後、相馬市に避難をすることになり、そのとき約100頭いた牛たちは、よそに迷惑をかけないよう、牛舎につないで来るしかありませんでした。数日後、市内に多数駐車していた自衛隊の車両がいなくなり、相馬市役所に聞くと、「官のほうが情報が確実で早い。それは危険ということだから早く避難した方がいい」と言われ、福岡市の娘さんのお宅に4ヶ月ほど身を寄せていました。しかし、故郷への思いは断ちがたく、南相馬市に戻り、アパートから毎日小高区の自宅の様子見に行く生活を続けています。
 事故以前は、集落の人たちとは日々交流をし、それぞれの家族の様子もわかっていました。また、酪農研究会の活動を通して、助け合って酪農を続けていける共同体が出来上がっていました。しかし、「集落の人たちもちりじりになり、地域作りと農業への夢が奪われ、見通しも希望も語れないが、故郷の自然と豊かな恵みを若者達に守り伝えていく責任がある」と、渡部さんはおっしゃいます。
アパートでは話す人もいないし、話しかけても迷惑ではと躊躇してしまい、どこにも吐き出せない想いを短歌に込めて、自費出版で「つぶやき」という本にまとめられています。

「美しき田畑の緑今はなし荒野に変わる避難の恐さ」 (収録されている短歌から)

自費出版された「つぶやき」の裏表紙の言葉は胸に迫ります

渡部さんは、原発事故のことは、こみ上げてきて話せないと批判がましいことは、余り口にされませんでしたが、それだけに、事故によって、それまでの家族との暮らし、地域とのつながり、積み上げてきた農業経営などを奪われたことへの、悲しさ悔しさの計り知れない大きさが伝わってきました。行政の壁を感じながらも、復興への希望を諦めず、故郷を守って伝えていくことが自分の役目だと、凛として話してくださる渡部さんに、自然と対峙して生き抜いてきた真の農業者の強さを見た思いでした。
 飢えた牛によってかじられて細くなった牛舎の柱は今でも目に焼きついています。
閣議決定された新たなエネルギー基本計画は、この原発事故など無かったかのように、再び原発推進に向かおうとしています。事故によってそれまでの生活、つながり、未来への希望が奪われ、たくさんの人の命も動物の命も奪われた。自分の家で暮らすこともできず、故郷へ今後永久に帰ることもできない人たちが、隙間風の入る仮設住宅で3度目の冬を過ごしたこの現実を忘れてはなりません。原発推進には断固として反対し、再生可能エネルギーの目標値を設定し、技術力を高めて着実に推進していく必要性を、この視察によってさらに強く感じました。

飢えた牛がかじって細くなった牛舎の柱。戻ってきた時、渡部さんは牛舎の前にひざまづいて祈るばかりで、中へは入れなかったという。